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海の近くに住みたい。
犬を連れて砂浜を散歩して、冬でも比較的暖かい場所で暮らしたい。
そんなことを考えて房総半島を探し、伊豆を見て、宮崎や沖縄まで覗いた。
ところが、海沿いの物件を真面目に調べれば調べるほど、
津波。
塩害。
高潮。
海抜。
そんな言葉が気になるようになった。
もちろん、海の近くに暮らすこと自体が悪いわけではない。
ただ私の場合、地震が来るたびに津波を心配し、台風が来るたびに高潮を気にする生活を想像したら、なんだか疲れてしまった。
海への憧れが消えたわけではない。
旅行なら行きたい。
犬と砂浜も歩きたい。
でも、
「遊びに行きたい場所」と「毎日暮らしたい場所」は、どうやら違うらしい。
そんなことがわかってきた。
そしてある日、私はまた物件サイトで高原の家を見ていた。
気づけば、また山を見ていた
ほんの少し前まで、
「本格的に移住するなら海がいい」
と言っていたはずだった。
夫が山を推すたび、
「私は海のほうがいい」
と思っていた。
それなのに、房総や伊豆を散々調べたあと、気づけば検索しているのは、
那須高原。
八ヶ岳。
蓼科。
霧島。
そんな場所ばかりだった。
夫に負けたわけではない。
もちろん、
カブトムシにも負けていない。
ただ、海沿いの物件を見続けたあとで高原の写真を見ると、以前とは少し違って見えた。
木々がある。
山がある。
空がある。
家同士の距離がある。
なんとなく、
ほっとする。
そんな感覚があった。
今度は「観光地」ではなく「暮らす場所」として高原を見る
軽井沢を調べ始めたころ、私が高原に求めていたのは、
涼しそう。
緑がきれい。
鳥がぴちゅぴちゅ鳴いていそう。
そのくらいだった。
完全に「遊びに行く場所」として見ていた。
でも全国の物件を散々見たあとでは、見るところが変わっていた。
スーパーは遠くないか。
病院はあるか。
冬はどのくらい寒いのか。
雪はどの程度降るのか。
家の周囲はどうなっているのか。
道路は大丈夫か。
土砂災害の危険はないか。
山だから安心、というわけではない。
山には山のリスクがある。
急傾斜地もあるし、沢沿いもある。
大雨のときに気をつけなければならない場所もある。
それでも、
「ここで毎日暮らすとしたら?」
という目で、高原を見られるようになっていた。
軽井沢じゃなくても、こんな場所があるんだ
その中で気になった場所のひとつが、那須高原だった。
軽井沢を見ていたころは、
「素敵だけど高いなあ」
という気持ちがどうしてもつきまとった。
ところが別の別荘地まで探し始めると、
軽井沢だけが高原リゾートではないことがわかってくる。
森がある。
別荘地がある。
温泉がある。
観光客が来る場所だから、完全な山奥というわけでもない。
そして物件を見ていると、
「これなら現実的かも」
と思えるものも出てくる。
そこでまた心が動いた。
私が欲しかった暮らしって、別に軽井沢じゃなくてもできるんじゃない?
軽井沢という名前が欲しいわけではない。
森の中で暮らしたい。
夏は少し涼しいほうがいい。
静かな場所がいい。
でも、生活不能なほど山奥には行きたくない。
そんな条件を満たす場所は、全国にいくつもあるらしい。
八ヶ岳、蓼科……高原にもいろんな顔がある
八ヶ岳や蓼科の物件も見た。
そこでまた気づいた。
高原とひとことで言っても、全部同じではない。
森の中にすっぽり入ったような場所もある。
窓の向こうに山が大きく見えるところもある。
空が開けている場所もある。
周囲にほとんど家がないところもあれば、別荘地として整備されたところもある。
私は最初、
「自然が多ければ多いほどいい」
くらいに考えていた気がする。
でも物件を見続けていると、どうやらそれも違うらしい。
森のど真ん中に一軒だけ建っている家を見ても、必ずしも心が動かない。
むしろ、
少し開けていて、
空が見えて、
遠くに山があって、
そのあいだに人の暮らしも感じられる。
そんな場所に目が止まることが増えていった。
なぜなのかは、このころの私にはまだわからなかった。
九州にも高原があるの?
全国を見ていると、私の中の地理感覚もどんどん壊れていった。
高原といえば、長野や栃木のような東日本の山間部。
なんとなくそんなイメージがあった。
でも九州にも高原がある。
霧島という名前も出てきた。
宮崎や鹿児島の暖かいイメージと、
「高原」
という言葉が、私の頭の中ではなかなか結びつかなかった。
暖かい地方にも、標高の高い場所はある。
温泉地もある。
山もある。
当たり前なのだが、住む場所として日本を見たことがなかった私には、何もかもが新鮮だった。
少し前には蒜山を「ニラヤマ」と読んでいたくらいなので、当然である。
だんだん「好きな物件」に共通点が出てきた
こうして全国の高原を見ているうちに、不思議なことが起きた。
何百という物件写真の中で、
「これは好き」
と思う家や土地に、少しずつ共通点が出てきた。
緑がある。
山が見える。
でも森に埋もれすぎていない。
空が広い。
家が密集していない。
庭や土地に余裕がある。
静かだけれど、人里から完全に隔絶されているわけではない。
そして、
なんとなく景色に抜け感がある。
どうやら私は、ただ「山が好き」なのではないらしい。
だからといって、
「こういう土地が理想です」
とは、まだうまく説明できなかった。

物件写真を見て、
これは好き。
これは違う。
と感覚で選んでいるだけだった。
ただ、海沿いの物件を探していたころよりも、
高原の写真を眺めている時間のほうが、いつの間にか長くなっていた。
海派だった私は、また山へ戻ってきた
最初は、
夫は山派。
私は海派。
そう思っていた。
でも、実際に全国の土地を調べてみると、そんなに単純ではなかった。
海を調べたからこそ、海辺暮らしのいいところも、心配なところも知った。
高原を調べ直したからこそ、
「私は山が嫌いだったわけではない」
ということにも気づいた。
むしろ、
なぜか山が見える場所に目が止まる。
なぜか空の広い高原に惹かれる。
なぜか少し開けた土地を見ると、ここで暮らしてみたいと思う。
ただ、このころはまだ、
どうして自分がそんな景色に惹かれるのかまでは、わかっていなかった。
その理由に気づくのは、
もう少し先のことになる。
こうして海派だった私は、
いつの間にか再び、日本地図の山側を眺めるようになっていた。
この記事のトピック
海沿いへの熱が下がり、再び高原物件を見るようになる
- 房総・伊豆・宮崎・沖縄を見たあと、気づけばまた山側を検索。
高原を見る目が以前と変わっていた
- 「涼しそう」「鳥がぴちゅぴちゅ」だけではなく、
- スーパー
- 病院
- 雪
- 道路
- 土砂災害
など、暮らしの条件を見るようになる。
那須高原が気になる
- 軽井沢以外にも、森・温泉・別荘地・観光地の便利さを持つ場所があると知る。
- 「軽井沢じゃなくても理想の暮らしはできるかも」と思い始める。
八ヶ岳・蓼科など、いろいろな高原を比較
- 森の深い場所
- 山が見える場所
- 空が開けた場所
- 整備された別荘地
- 高原にもさまざまなタイプがあると知る。
九州にも高原があることに驚く
- 霧島などを知り、「暖かい地域」と「高原」が両立することに気づく。
好きな物件・景色に共通点が出てくる
- 緑が多い
- 山が見える
- 森に埋もれすぎていない
- 空が広い
- 隣家が近すぎない
- 土地に余裕がある
- 人里から完全に離れすぎていない
「自然が多ければ多いほどいい」わけではないと気づく
- 完全な山奥より、少し開けた景色のほうに惹かれる。
海派から山側へ静かに回帰
- 夫に説得されたというより、自分で全国を見た結果、高原に戻ってきた。
- ただし、なぜ山の見える景色に惹かれるのかはまだわからない


