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2026年8月8日。
庭にバードバスを作りたい。
野鳥カメラも置きたい。
YouTubeで、
鳥が水浴びするところを流したい。
古家も直したい。
庭も育てたい。
森っぽくしたい。
そんな話をしていたら、
突然、
私はかなり先の未来まで考え始めた。
**この場所、
私たちがいなくなったあと、
どうするんだろう?**
まだ土地も買っていない。
家もない。
バードバスもない。
YouTubeも始まっていない。
なのに、
もう、
事業承継を考えている。
順番がおかしい。
家ではなく「場所」を育てるのかもしれない
このころから、
私が作りたいものは、
単なる住宅ではなくなっていた。
家がある。
庭がある。
木がある。
鳥が来る。
犬が走る。
花が咲く。
果樹が育つ。
バードバスには、
毎日違う鳥がやってくる。
古家を直した記録も残る。
庭が育っていく様子も、
YouTubeに残る。
つまり、
建物ひとつではなく、
場所そのものを何年もかけて育てる。
そういうイメージになってきた。
となると、
ふと思う。
これを、
最後に普通の中古住宅として売ってしまうのは、
ちょっともったいなくない?
不動産サイトに載せたら、ただの「中古戸建て」
たとえば、
20年後。
30年後。
私たちが、
この場所を手放すことになったとする。
不動産サイトに載る。
「中古戸建て」
築年数。
土地面積。
建物面積。
間取り。
駐車場。
最寄り駅まで何分。
価格。
もちろん、
不動産としては、
それで正しい。
でも、
私が想像している場所には、
それだけでは説明できないものが、
たくさんある。
ここには、
毎年この鳥が来る。
この木には、
春になると花が咲く。
ここは、
朝いちばんに光が入る。
このベンチに座ると、
夕方の山がきれい。
このバードバスには、
メジロがよく来る。
この道は、
犬が毎日歩いた。
そういうもの。
数字にできない。
森は、一日では作れない
家は、
建てれば完成する。
でも、
庭や森は、
そうはいかない。
木を植える。
育つ。
剪定する。
また伸びる。
鳥が来る。
実がなる。
虫が増える。
環境が変わる。
10年。
20年。
時間そのものが、
庭を作っていく。
もし私たちが、
長い時間をかけて、
ぴちゅ森を育てたとしたら。
次に住む人には、
その続きをやってほしい。
全部切って、
駐車場にする。
ではなく。
「この森、好きです」
と言ってくれる人に、
引き継いでもらえたら、
すごくいい。
次の住人は「買主」ではなく「二代目」?
そこで、
また妄想が始まった。
ぴちゅ森を手放すとき。
普通に、
家を売るのではなく。
ぴちゅ森二代目募集。
みたいにしたら、
面白くない?
鳥が好き。
庭が好き。
犬が好き。
田舎暮らしが好き。
古い家も好き。
植物も好き。
この場所を、
これからも育てたい。
そんな人。
それなら、
物件を売るというより、
暮らし方ごと引き継ぐ
みたいになる。
なんだそれ。
でも、
ちょっと楽しそう。
YouTubeが「取扱説明書」になる?
さらに、
YouTubeを続けていたら、
土地の記録も、
かなり残る。
この木を植えた日。
バードバスを作った日。
初めて鳥が来た日。
古家を直した日。
雪が降った日。
庭を作り直した日。
つまり、
何年も動画を残していけば、
それ自体が、
ぴちゅ森の成長記録
になる。
次の住人が見たら、
「この木、
こんな小さかったんだ」
とか、
「ここ昔は草原だったんだ」
とか、
分かる。
もしかすると、
YouTubeは、
ただの宣伝ではなく、
この場所の巨大な取扱説明書
になるのかもしれない。
チャンネルごと引き継ぐ?
そして、
さらに未来へ行く。
もし、
ぴちゅ森のYouTubeチャンネルが、
長く続いていたら。
土地だけではなく、
チャンネルも、
引き継げたりするのだろうか。
「ぴちゅ森二代目」が、
今度は自分たちの暮らしを、
発信する。
一代目。
二代目。
三代目。
そんなふうに、
場所が続いていく。
……。
いや。
まだ、
一代目すら始まっていない。
家の価値と「物語の価値」は違う
中古住宅には、
築年数がある。
古くなれば、
一般的には、
建物の価値は下がっていく。
でも、
その場所に積み重なった物語は、
逆かもしれない。
森が育つ。
庭が育つ。
鳥の記録が増える。
動画が増える。
写真が増える。
人が泊まった記憶が増える。
**時間が経つほど、
場所としては面白くなる。**
だったら、
私が作りたいのは、
値段が下がらない家というより、
年数が経つほど好きになる場所
なのかもしれない。
最初から「次へ渡せる場所」にしておく
そう考えると、
家づくりにも、
少し影響しそうだった。
あまり、
私たち夫婦にしか使えないものにしない。
古家と新居を、
ある程度独立させる。
入口を分ける。
駐車場を分ける。
将来的には、
土地も分けられるようにする。
宿。
自宅。
庭。
森。
それぞれ、
役割を整理しておく。
今の自分たちが楽しむだけではなく、
あとから使い方を変えられる余白を残す。
これ、
けっこう大事なのでは?
と思った。
「売れる家」より「引き継ぎたい場所」
以前の私は、
物件を見るとき、
売れるかどうかを気にしていた。
将来、
売却できる?
資産価値は?
需要はある?
もちろん、
それも大事。
でも、
ぴちゅ森について考え始めてから、
少しだけ変わった。
高く売れるか。
ではなく。
**誰かが、
ここを好きになってくれるか。**
そんなことも、
気になるようになった。
まだ何もない
ここまで、
壮大に書いたけれど。
この時点では、
本当に、
何もない。
土地なし。
家なし。
森なし。
バードバスなし。
鳥カメラなし。
YouTubeなし。
なのに、
私はもう、
「二代目ぴちゅ森」
を想像していた。
人生設計、
先走りすぎである。
でも。
もしかすると、
これは、
かなり大事な妄想だったのかもしれない。
何年もかけて育てるものなら、
最後まで自分たちだけで完結させなくてもいい。
自分たちが作って。
誰かが受け取って。
また、
少し変えて。
続いていく。
**家を残すのではなく、
場所を残す。**
そんな暮らしも、
いいなと思った。
まだ、
鳥一羽すら来ていない、
2026年8月8日のことである。



