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移住先を探し始めたころ、私は「森の中に住みたい」と思っていた。
木々に囲まれた家。
窓を開ければ緑。
鳥が来て、風が葉っぱを揺らして、庭には薪が積んである。
できれば広い土地で、犬を走らせたい。
そんなわけで、物件サイトを見るときも自然と目が行くのは、
「山林付き」
「森に囲まれた一軒家」
「敷地1000坪」
「自然豊かな別荘地」
みたいな物件だった。
そう。
このころの私は、まだ思っていたのだ。
森に住みたいなら、森を買えばいい。
非常にわかりやすい。
しかし土地探しを続けていると、だんだん話がおかしくなってきた。
森には、だいたい斜面がついてくる
森っぽい土地を探していると、当然ながら木がたくさん生えている。
そして木がたくさん生えている土地は、なぜか平らではないことが多い。
斜面。
崖。
擁壁。
細い道路。
謎の高低差。
「わあ、森だ!」
と喜んで写真を開いた数秒後、
「……この車、どこから入るの?」
となる。
さらに土地について調べ始めると、
造成。
伐採。
抜根。
擁壁。
接道。
建築可能な場所。
排水。
水道。
私の知らない単語が次々と現れた。
私は森の家が欲しいだけなんだけど。
なぜ土木工事の勉強をしているんだろう。
木があることと、暮らしやすいことは別だった
もちろん、最初から木がたくさん生えている土地には魅力がある。
何十年もかけて育った大木は、お金を出してもすぐには作れない。
夏の日差しを遮ってくれるし、景色にも圧倒的な雰囲気がある。
「森の中の家」という完成された世界が、最初からそこにある。
ただし。
木がある土地=暮らしやすい土地、ではない。
ここが大きな発見だった。
家を建てる場所を確保するために木を切る。
根を抜く。
土地を平らにする。
車が入れるようにする。
場合によっては擁壁を作る。
水道を引く。
雨水がどこへ流れるのかも考える。
森を買ったはずなのに、家を建てるために森を壊している。
……あれ?
なんか違わない?
だったら、あとから木を植えればいいのでは?
そんな土地ばかり見ていたあるころ、考え方がひっくり返った。
最初から森じゃなくてもいいんじゃない?
平坦で。
道路にちゃんと接していて。
家を建てやすくて。
水道などのインフラにも問題がなくて。
日当たりがよくて。
そのうえで、周囲に少し自然が残っている土地。
そこに自分たちで木を植えていく。
それでもいいのではないか。
むしろ、そのほうが私たちの暮らしには合っているのでは?
たとえば敷地の外周に木を植える。
家の近くには落葉樹。
鳥が来る木。
実のなる木。
紅葉する木。
庭にはブルーベリーやハーブ。
バードバスを置いて、犬が走れる場所も残す。
最初はただの草地でも、10年後にはずいぶん景色が変わるはずだ。
森は、買うものだと思っていた。
でも、
森って作ってもいいんだ。
欲しかったのは「山林」ではなく「暮らせる森」だった
ここでようやく気づいた。
私が欲しかったのは、地目が「山林」の土地ではなかった。
木が何百本も生えている土地でもなかった。
欲しかったのは、
朝、窓の外に緑があって。
鳥が来て。
犬が庭を走って。
木陰でお茶が飲めて。
季節の変化が感じられる場所。
つまり、
欲しかったのは山林ではなく、暮らせる森だった。
これ、似ているようで結構違う。
山林を買えば森は手に入る。
でも「暮らせる森」を作るには、
家を建てる場所。
庭。
道路。
駐車場。
日当たり。
水。
景色。
そして木。
全部のバランスが必要になる。
人間の欲望は成長が早い。
最初は「木がいっぱいあれば最高!」だったのに、数週間後には土地の勾配と接道を気にしている。
だいぶ現実に汚染されてきた。
「完成された土地」より「育てられる土地」
このころから、土地を見るときの基準も少しずつ変わっていった。
最初から完成された理想の景色を探すのではなく、
ここをどう育てられるか?
を見るようになった。
今は何もない土地でもいい。
むしろ何もないからこそ、
ここに家を建てて、
ここに木を植えて、
ここは犬の場所。
ここは畑。
ここから山を見る。
そんなふうに、自分たちで暮らしを描ける。
土地探しを始めたころの私は、
「理想の森を見つけなきゃ」
と思っていた。
でも、理想の森なんて、最初から完成していなくてもいい。
何年もかけて木を植えて。
鳥が来るようになって。
庭の景色が少しずつ変わって。
気づいたら、
「ああ、森になったね」
と言えたら、それもきっと楽しい。
家を探していたはずなのに。
いつの間にか私は、
これから育てる風景を探し始めていた。



